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最高裁判所第一小法廷 昭和48年(オ)234号 判決 1974年4月25日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田中登、同藤原寛治、同二宮充子、同大内猛彦、同成見幸子の上告理由について。

おもうに、交通事故等の不法行為によつて被害者が重傷を負つたため、被害者の現在地から遠隔の地に居住又は滞在している被害者の近親者が、被害者の看護等のために被害者の許に赴くことを余儀なくされ、それに要する旅費を出捐した場合、当該近親者において看護等のため被害者の許に赴くことが、被害者の傷害の程度、当該近親者が看護に当たることの必要性等の諸般の事情からみて社会通念上相当であり、被害者が近親者に対し右旅費を返還又は償還すべきものと認められるときには、右旅費は、近親者が被害者の許に往復するために通常利用される交通機関の普通運賃の限度内においては、当該不法行為により通常生ずべき損害に該当するものと解すべきである。そして、国際交流が発達した今日、家族の一員が外国に赴いていることはしばしば見られる事態であり、また、日本にいるその家族の他の構成員が傷病のため看護を要する状態となつた場合、外国に滞在する者が、右の者の看護等のために一時帰国し、再び外国に赴くことも容易であるといえるから、前示の解釈は、被害者の近親者が外国に居住又は滞在している場合であつても妥当するものというべきである。

本件において、原審が適法に確定したところによれば、被上告人は、昭和四三年八月二六日本件交通事故により脳挫傷、左大腿挫創、腰部打撲傷の傷害を受け、直ちに外科病院に入院したが、当時は危篤状態で一週間にわたり意識が混濁した状況にあり、その後精神障害治療のため、同年一〇月五日から同年一一月二九日まで五六日間他の病院に転入院し、その後さらに同月三〇日から昭和四五年一〇月二一日までの間二七回にわたり病院に通院して治療を受けたというものであり、他方、被上告人の娘である訴外岡田和子は、ウイーンに留学すべく昭和四三年八月二四日横浜からナホトカ経由で出発したが、途中モスクワに到着した際、本件交通事故の通知を受けたため同年九月六日急遽帰国し、翌七日から入院中の被上告人に付添つて看護し、昭和四四年四月改めてウイーンに赴いたが、その結果、被上告人が和子のために調達した留学のための諸費用のうち横浜からナホトカ経由ウイーンまでの旅費一三万二二四四円が無駄となつたのみならず、被上告人は和子が帰国のために要したモスクワからナホトカ経由横浜までの旅費八万四〇三四円(以下、両者を合わせて本件旅費という。)の支出を余儀なくされ、右合計二一万六二七八円の損害を被つたというのである。右事実関係のもとにおいては、和子が被上告人の看護のため一時帰国したことは社会通念上相当というべきであり、本件旅費は、被上告人が和子に代つて又は同人に対して支払うべきものであるから、被上告人が被つた損害と認めるべきものであり(原審はこの趣旨を判示したものと解される。)、その額もウイーンに赴き又はモスクワから帰国するために通常利用される交通機関の普通運賃額を上回るものでないことが明らかであるから、本件旅費は被上告人が本件交通事故により被つた通常生ずべき損害であるといわなければならない。したがつて、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。

原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎の意見があるほか裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官大隅健一郎の意見は、次のとおりである。

(一) 本件被上告人は、昭和四三年八月二六日、交通事故により脳挫傷、右大腿挫創等瀕死の重傷を負い、直ちに外科病院に入院したところ、これより先昭和四三年八月二四日、同人の娘である被外岡田和子は、ウイーンに留学すべく横浜からナホトカ経由で出発したが、途中モスクワに到着した際、右交通事故の通知を受けたため、同年九月六日急遽帰国し、翌七日から入院中の被上告人に付添つて看護し、翌年四月改めてウイーンに赴いた。その結果、被上告人が和子のために調達した留学のための諸費用のうち、横浜からナホトカ経由ウイーンまでの旅費一三万二二四四円が無駄となつたのみならず、被上告人は和子が帰国のために要したモスクワからナホトカ経由横浜までの旅費八万四〇三四円(以下、両者を合わせて本件旅費という。)の支出を余儀なくされた。この合計二一万六二七八円の本件旅費につき、被上告人が前記交通事故によつて被つた損害として、加害者である上告人に対しその賠償を請求することができるかどうかが、本件における争点である。そして、多数意見は、本件旅費は被上告人が右交通事故により被つた通常生ずべき損害というべきであり、したがつて上告人においてこれが賠償の責に任ずべきものとしている。

私は、本件旅費につき上告人の賠償責任を認める多数意見の結論自体には異論はないが、その理由には同調することができない。

(二) そもそも、多数意見(原判決も同様)の根底には、不法行為による損害賠償についても債務不履行に関する民法四一六条の規定が類推適用され、加害者は、原則としてその不法行為により通常生ずべき損害を賠償すれば足り、特別の事情によつて生じた損害については、当事者がその事情を予見しまたは予見しうべかりしときにかぎり、これが賠償の責めを負う、とする見解が伏在している。そして、この見解をとるときは、本件旅費が本件交通事故により被上告人の被つた損害として加害者である上告人において賠償するのが公平の観念に照らして妥当であると考えられるかぎり、何としてもこれを本件交通事故により通常生ずべき損害として捉えなければならないわけである。けだし、それが特別の事情によつて生じた損害であるとするならば、上告人がその賠償責任を負うがためには、同人において被上告人の娘の和子に関する前記の事情を予見しまたは予見しうべかりしことを要するが、かかることはおよそ問題になりえないからである。

ところで、本件旅費は、不法行為による損害賠償制度の基本理念たる公平の観念に照らし、本件交通事故により被上告人の被つた損害として加害者である上告人にその賠償をさせるのが相当と認められるが、しかし一般の常識からいえば、これを本件のような交通事故から通常生ずべき損害と見るのは無理であつて、特別の事情によつて生じた損害と考えるのが素直ではないかと思う。しかるに、多数意見は、「交通事故等の不法行為によつて被害者が重傷を負つたため、被害者の現在地から遠隔の地に居住又は滞在している被害者の近親者が、被害者の看護等のために被害者の許に赴くことを余儀なくされ、それに要する旅費を出捐した場合、当該近親者において看護等のため被害者の許に赴くことが、… …諸般の事情からみて社会通念上相当であり、被害者が近親者に対し右旅費を返還又は償還すべきものと認められるときには、右旅費は……当該不法行為により通常生ずべき損害に該当するものと解すべきである。そして、国際交流が発達した今日、家族の一員が外国に赴いていることはしばしば見られる事態であり、また、日本にいるその家族の他の構成員が傷病のため看護を要する状態となつた場合、外国に滞在する者が、右の者の看護等のために一時帰国し、再び外国に赴くことも容易であるといえるから、前示の解釈は、被害者の近親者が外国に居住又は滞在している場合であつても妥当するものというべきである。」とすることにより、本件旅費は被上告人が本件交通事故によつて被つた通常生ずべき損害であるとして、上告人にその賠償責任があることを基礎づけようとしている。

すでに述べたとおり、本件旅費が被上告人の本件交通事故により被つた損害であり、上告人にその賠償責任があるとすることには、私も全く異論がないが、しかし本件旅費が本件交通事故によつて通常生ずべき損害であるとする右の多数意見の説明は、いかにも苦しくいささかこじつけの感を免れないように思われる。かりにこれが一応納得できるものであるとしても、それは、本件旅費につき上告人の賠償責任を認めるのが相当であるという点においてであつて、本件旅費が本件交通事故により通常生ずべき損害であるという点においてではない。そして、多数意見が上述のごとき苦しい説明を必要とされるそもそもの原因は、不法行為による損害賠償につき債務不履行に関する民法四一六条の規定を類推適用すべきものと解するところに存するのである。

(三) 私は、当裁判所昭和四八年六月七日の判決(昭和四三年(オ)第一〇四四号損害賠償請求事件、同四八年六月七日第一小法廷判決・民集二七巻六号六八一頁)における反対意見において、民法四一六条の規定を不法行為による損害賠償につき類推適用すべきものとする見解に対して賛成しがたい理由を述べた。ここではそれを引用すれば足りるのであるが、ただ次の点をとくに指摘しておきたい。すなわち、私は右の反対意見の中で、「たとえば、自動車の運転者が運転を誤つて人をひき倒した場合に、被害者の収入や家庭の状況などを予見しまたは予見しうべきであつたというがごときことは、実際上ありうるはずがないのである。その結果、民法四一六条を不法行為による損害賠償の場合に類推適用するときは、立証上の困難のため、被害者が特別事情によつて生じた損害の賠償を求めることは至難とならざるをえない。そこで、この不都合を回避しようとすれば、公平の見地からみて加害者において賠償するのが相当と認められる損害については、特別の事情によつて生じた損害を通常生ずべき損害と擬制し、あるいは予見しうべきでなかつたものを予見可能であつたと擬制することとならざるをえない。」「不法行為による損害賠償につき民法四一六条の規定を類推適用しても、ある損害が通常生ずべき損害であるか、特別の事情によつて生じた損害であるかの限界は必ずしも明らかでなく、これを区別することは実際上困難な場合が少なくなく、そのことは予見可能性の存否についても同様であつて、結局は、公平の観念に照らして行為者にその損害を賠償させるのが妥当かどうかの判断が先行し、それを前提として民法四一六条の規定の解釈上の操作がなされること」とならざるをえない旨を述べたが、本事案および本件における多数意見は、まさに、右に述べたところを裏書する絶好の例証を提供するものといえるのではなかろうか。

(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸 盛一 裁判官 岸上康夫)

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